軍艦島デジタルミュージアムを見学してきました

軍艦島である端島は、文化7年(1810)に石炭が発見され、所有者であった鍋島藩が細々と採炭。
明治23年(1890)に鍋島藩は三菱に10万円で譲渡。
昭和49年(1974)1月15日の閉山まで85年間操業を続けました。

軍艦島シンフォニー

1階で受付をして2階にあがると全長30mのスクリーン(プロジェクションマッピング)が目に入ります。
とてもきれい!
ここではガイドさんの説明を聞きながら約3,000枚の写真を見ることができます。

三菱高島炭鉱の石炭

黒いダイヤである石炭。中でも長崎の石炭は質が良く「三菱のドル箱」となり三菱発祥の地として戦前・戦中・戦後の日本の経済の発展に貢献しました。

軍艦島のアパートの暮らし

社宅の家賃はほぼ無料、光熱費も無料でした。

1958年頃、家電の3種の神器である「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」の普及率が10%だったのに対し、軍艦島では100%でした。
ちなみに、テレビは昭和28年(1953)に発売。サラリーマンの月給が3万円の時代に1台約30万円でした。
どんだけ稼いでいたのやら。

中でも高台にある三菱の幹部が住む高級住宅は憧れの的。
オーディオセットを揃えている家庭もありました。

レベルの高い生活は命と引き換え。
特に、1941年に納屋制度が全廃されるまでは過酷だったようですね。

シマノリズム

ジオラマにプロジェクションマッピングを使って島の3日間を再現。
結構、面白かったです。

交通手段は徒歩のみ。自転車はなし。車はオート三輪が2台あったそう。
この階段は丘の上の端島神社までずっと続いていて、登るのが辛いことから「地獄段」と呼ばれました。

2003年の頃の地獄段。

Hashima076.jpg
http://an.to/spot/http://an.to/spot/003/photo-m/076.jpg, Copyrighted free use, リンクによる

端島銀座。商店街はどこへ行っても「銀座」が付く感じ。

スナック「白水苑」。このオッサンの表情がたまらん。軍艦島シリーズの中で1番好きです。

他、病院・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘などすべてのものが揃っていましたが、火葬場と墓地だけはありませんでした。
成人式の着物やウェディングドレスなどの貸衣装もあったので島で結婚式も可能でした。すごい。
神社や寺院もあり、お祭りの日には神輿を担ぎました。

屋上には青空農園がありました。

軍艦島30号棟

大正5年(1916)に建てられた日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパート模型があります。

ここでは 30号棟・日給社宅 BIM データを見ることもできます。

夕顔丸の模型

長崎と端島・高島を結ぶ船。

乗船券も展示されていました。大人5円。子供3円。

当時の品々

荷物のほとんどは置き去りにされました。

この黒電話は第二竪坑付近に残されていたもの。内線専用だったのでダイヤルは無し。
アパートには電話はなく、島の外につながる電話は公衆電話1台のみでした。

池島炭鉱で使われていた靴。毎日「絶対死なない」と思いながら坑内に下がっていました。

端島炭坑の石炭。

腕章と手ぬぐい。
「保安第一」
どう考えても過酷。

軍艦島VR

立ち入りができない区域を VR で見ることができます。臨場感があって怖かったです。

軍艦島崩壊の危機と研究者たちの挑戦

崩壊の危機にある島の実情と課題である保存計画を研究者たちがインタビューを通して説明しています。

崩れ行く軍艦島

島の体育館だった71号棟の倒壊前。

現在。

地獄谷シアター

端島神社

当時の端島神社の写真とおみくじ。

ガンショーくんルームPart1

何だろうこれは。最高に意味が分からなかったです。

ガンショーくんルームPart2

昭和33年(1958)頃の軍艦島での生活用品が展示されています。
こちらは東芝ユニカラーテレビ。昔のテレビは家具調で枠が木でした。

東芝の炊飯器に料理雑誌でしょうかね?裕福な生活をうかがい知ることができます。

ナショナル松下 BL-705の真空管スーパーラジオ。

パチンコ「ラッキー台」。

48号棟の地下では140台もパチンコ台が並んでいました。

高橋昌嗣フォトギャラリー

昭和47年(1972)から3か月間、作業員として働きながら写真を撮りました。

パノラマ世界遺産

寺田克也展

この後は軍艦島上陸ツアーに参加

軍艦島コンシェルジュプレミアム【乗船から上陸するまでの記録】
軍艦島上陸!

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