軍艦島上陸ツアーに参加【軍艦島コンシェルジュプレミアム】

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軍艦島コンシェルジュプレミアム【乗船から上陸までの記録】

船から降りたら細い渡り通路を通ります。

背の低いトンネルをくぐって上陸!

端島の地図。紫は炭鉱関連施設(ほとんどが閉山時に破壊されたか、風雨により自然に倒壊している)、青は鉱員社宅、水色は職員社宅、緑はその他の住宅・公共施設等。
2009年4月現在、立ち入りが許可されているのは赤色の見学通路・見学広場のみ。

Nagasaki Hashima map ja.png
Hisagi (氷鷺)- 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

第1見学広場

上陸後はじめて撮った写真。岩がゴロゴロしていて衝撃的でした。

中央左の方に見える高さ6mの柱はベルトコンベアの橋脚。
地下から掘り上げた石炭をこれで運び、貯炭場に蓄え、石炭運搬船に積み込みました。

奥に見えるのが「1958年築 70号棟の小中学校」。手前に赤い屋根の体育館があったのですが朽ちています。7階建てで、1階から4階までが小学校・5階以上は中学校。1番多い時の生徒数は700名を超えました。
左手に見えるのが「1945年築 RC 9階建ての社宅」

65号棟の屋上には保育園、下には端島公園もありました。
エレベーターはないので上り下りは大変そう。

端島公園
Japan-725797.jpg
Jordy Meow– pixabay, CC0, リンクによる

この付近は崩壊の危険があるので立入禁止。

崖の上にも社宅があります。ここには軍艦島の所有者である三菱のお偉いさん家族が住んでいました。
今にも崩れそうでかなり怖い。

選炭機。

ブロワー室。

第2見学広場

ここの辺り(海底坑道:非公開)は世界遺産となっています。
こんな朽ちた世界遺産ははじめて見たかも。

総合事務所(第三竪坑捲座)は明治時代に完成。この島の司令塔的な存在でした。

第二竪坑坑口の階段部分(命の階段)は補強されていました。

ここから地下600mまで潜り、地下1,000mまで広がる巨大な坑道で作業。
仕事を終えて坑道から上がってきた坑員は、この「命の階段」を通って総合事務所にあったお風呂で汗を流しました。湯舟はいくつかあり、最初は服のまま入り、最後にきれいな湯舟に浸かって上がりました。

炭鉱では事故もあり、爆発などで仲間が亡くなった場合は、遺体だけでなく魂も地上へ連れ戻すため「一緒に地上へ行こうな!」っと話しかけながら運んだとのこと。辛い。

ここでは子供たちが海に下りて水泳を楽しんだそう。

基本、炭鉱の部分は閉山の時に壊したそうで岩が多いです。

明治時代に造られた「岸壁」も世界遺産になっています。
ですが、1部分だけなのでどこだか良く分からなかったです。

第3見学広場

日本初!鉄筋コンクリート造の社宅30号棟(通称:グラバーハウス)は、1916年(大正5年)に建てられました。当初は4階建てでしたが後から7階建てに増築されました。
隣の31号棟は1957年(昭和32年)築。1階に端島郵便局、地下に共同浴場がありました。

大正初期にこんな技術があったとは。
しかし「年月が経っている&高波が打ち付ける&無人」ということで劣化は進む一方。

2019年には形を保っていた部分が翌年2020年には壁が崩落。

階段もぼろぼろ。これらは直しようがなく朽ちるのを見守るだけだそう。

台風の時には建物の屋上まで高波が押し寄せました。
それを楽しむ主婦や子供たち。その時オッサン共は何をしていたのやら。

見学おわり

名残り惜しい。

本当は島の周囲を1周してから上陸するのですが、強風のため中止に。
でも「上陸できない恐れもある」と聞いていたので上陸できただけでも御の字。
またぜひ近いうちに見に行きたいです。

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