長崎3つの碑(国際電信・長崎電信・南山手居留地)を見てきました

ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル[楽天]の前に建っています。

国際電信発祥の地

1851年、英国人ブレッド兄弟がドーバー海峡に世界最初の海底ケーブルを敷設して以降、海底ケーブル網は世界的に発達していきました。
明治4年(1871)デンマーク系の大北電信会社によって、長崎~上海間、長崎~ウラジオストック間に海底電信線が開通(通信所は南山手にあったベルビューホテルの一角)し、日本と世界が初めて即時に情報交換できるようになりました。

翌明治5年(1972)これを連絡する東京~長崎線建設の際、わが国政府による最初の海底ケーブルが関門海峡に敷設。これ以降、わが国の海底線網は発展をとげ、今日の情報改新時代を迎えるに至っています。
(NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社ホームページ参照)

1986年からは「光海底ケーブル」が海の底に敷設されました。明治の海底電信線はまさに「インターネットの前身」といった印象。

長崎電信創業の地

碑文は見当たりませんでしたが「国際電信発祥の地」と内容は同じのようです。

南山手居留地跡

もう1つ、横に建っているのが「南山手居留地跡の碑」。

安政の開国によりトーマスグラバーをはじめ多くの欧米人が貿易や商売などのために長崎に来航しました。そのため、梅が崎、常盤、大浦、下り松の海岸地帯は埋め立てられ「外国人居留地」となり、洋風住宅や商社などが次々と立ち並んでいきました。

文久3年(1863)には、南山手町、東山手町など計9町の町名がつけられました。伝統的建造物群保全地区であるここ南山手町では、旧グラバー住宅や大浦天主堂をはじめ、幕末、明治期の建造物が多く残り、異国情緒あふれる街並みが見られます。